星のない世界 紳士とアヒル


No.41 雨が上がる直前に

 

街に小雨が降り注いでいるときだった。
雨粒で視界がぼやけていると、そこにあるはずのない大きな木の枝と、白い鳥が見えたんだ。


白い鳥たちは羽を落としながら飛び立っていき、直後に雨が上がった。
まるで鳥たちが雨を連れて行ったようだった。


あれは幻だったのだろうか。
ぼくは小さい頃から夢想癖があり、たびたび人に指摘されて笑われることがあった。
もしかしたら今回のもそうだったのかも知れない。


また嘲笑されるかもと不安になりながらアヒルを見ると、いつもの笑顔でこちらを見ていた。
ぼくはほっと肩の力が抜け、思わず口元が緩んだ。

 

手のひらに羽の感触がまだ残っていた。



No.42 ひまわり池の下に

 

また、満月の夜だった。
真夜中だと言うのに、ひまわり池の中心がとても明るかった。
ひまわりをかき分けて進んでいくと、水面下で何かが強く光っていた。
側には小さなうさぎの女の子がいた。
ぼくはうさぎの女の子に、これは何?と聞いてみた。

 

「池の下に、星のかけらが落ちているって噂なの」

 

ぼくは一瞬、思考が止まった。女の子の言葉を理解するのにかなり時間がかかってしまった。
長い間ずっとずっと求めていたもの。ただひとつ、それだけを求めて旅をしてきた。
それがここに?本当に?

 

頭より先に体が動き、ぼくは池に潜ろうとした。

 

「拾いにいくの?」

 

女の子の声にはっとし、宙に浮かせた足を止めた。

 

「嘘かもしれないよ?だってこの世界に星なんてないもの。辛い思いをするかもよ?きっとにせもので、がっかりしちゃうよ?」

 

ぼくを心配そうに見つめて来るうさぎの女の子のおかげで、ぼくは次第に冷静になっていった。
そして女の子へふっと笑いかけ、

 

「それでも」

 

とだけ言った。

 

「そっか、あなたは勇気があるね」


ぼくはひとり、池の中へ飛び込んだ。



No.43 星のかけら

 

池の底でようやくそれを見つけた。
手のひらサイズの石が、暗い水の中で輝いていた。

 

これは紛れもない本物の星のかけらだろう。
きっとこの世界にある唯一の星。
ようやく見つけた。ようやく星を手に入れられた。

 

だけど、ぼくが感じたのは喜びではなく、違和感だった。
星を手にした瞬間「違う」と思ってしまった。
ぼくが求めていたのはこれじゃない。直感でそう分かった。

 

あれだけ星が見たくて見たくて仕方なかったのに。
毎晩毎晩、大きな月を眺めては吐きそうになるほどの渇望感でいっぱいだったのに。

 

ぼくは一体何を求めたいたのだろう。
ぼくは一体何のために旅をしていたのだろう。


頭の中が真っ白になってしまい、何も考えられなくなった。
星のかけらをそっと手放し、ぼくは池から上がった。



No.44 花とぼくと

 

ひまわりの池から出てきた後、ぼくは何も考えられなくなっていた。
ふらふらとそこら辺をただ歩き回り、荒れた家の荒れた庭へ、ぼくは吸い寄せられるように入って行った。
ほとんど枯れている草花たちの中で、堂々と色付いている赤い花が目に入った。
それは、ぼくの家で育てていた赤い花にとてもそっくりだった。

 

ぼくは花の前に座りこんだ。

 

「何かお悩みのようね。私の前に来る人は、みんなそうやって深刻そうな顔をしているのよ。」

 

赤い花は、表情が無い顔でぼくを見つめてきた。

 

「・・・星を見つけたんだ」

 

ぼくは小さな声で、今日までにあったことを話した。
星を見たくて旅をしていたこと。でもいざ星を見つけても、満足出来なかったこと。

そして、これからどうしたら良いかさっぱりわからないこと。

 

「あなたはどうしてこの世界に来たの?」

 

一通り聞いてくれた赤い花は、葉っぱを揺らしながらぼくに問いかけてきた。

 

「あなたも知っているでしょう。この世界はね、死んでも死にきれなかった者が集まる世界。みんな素直に死ぬことが出来ないほど、とってとっても辛い思いをした者が集まる世界。あなたも、私も」

 

風と共に流れる声で、花はぼくに話し続けた。

 

「あなたの星は、その問いの先にあるものよ」

 

花はやっぱり表情のない顔で、ぼくに優しく笑いかけてきた。
その顔を見ると、なんだか泣きそうになってしまったが、ぼくはぐっと堪えてうつむいた。

 

ぼくは花に言われたことを何度も反芻しながら、またふらふらと歩き始めた。

 

 



No.45 いつもの旅路、いつもの夜

 

また夜が来た。これで何度目の夜だろうか。
もうここに来て日数を数えることもしないくらい、ぼくは長い間旅を続けていたらしい。
でも、歩いても歩いてもこの世界に終わりは無く、見尽くすことが無かった。


それもそのはずだった。
この世界は寂しいものが集まって形成されている。
きっと今こうしている間にも、次々と寂しいものがやってきて、新しいものを作っているのだろう。
人も、街も、月でさえも。

 

月明かりに照らされる廃墟の山たちが、静かに静かに崩れて行った。
ぼくもこの廃墟たちもきっと同じなのだろう。
みんなみんな寂しくて、涙すら流せなく、そっと崩壊していく。
ぼくだっていつ崩れてもおかしくはない。夢も希望もなく、これからどうしたらいいかもわからない。

 

なのにぼくは、まだ立ち上がり、旅をしている。

 

ふとアヒルの方を見ると、何やら生い茂っている草を駆け回り、とても楽しそうにしていた。
その足をぴたっと止めると、ぼくをじっと見つめてきた。
彼は羽をはばたかせて、「一緒に遊ぼう」と声無くぼくを誘って来た。
ぼくはふっと肩の力が抜け、頬が緩んだ。

 

いつもの旅路、いつもの夜。
ぼくの星がなんなのか、ぼくがこれからどうしたらいいのか、わかった気がした。



No.46 花撒船

 

川の側で一隻の船を見つけた。
船には誰も乗っておらず、花びらが大量に積まれているだけだった。
ぼくとアヒルが船に足をかけると、船は白い煙を吐き出し、誰の指示も無く前へと進んだ。

 

船は川沿いを静かに泳いだ。
とてもゆっくりとしたスピードだが、風が真正面から流れてきて、花びらが次々へと船から飛び降りて行った。
川辺にある崩れた家や枯れた土地に、花びらが降り注いだ。
まるで船が世界へ優しさを撒いているようだった。
ぼくも船から花びらを手ですくい、空へと放した。

 

船の花びらが残り少なくなってきた頃。
ぼくのポケットから、オレンジ色の花びらが一枚飛び出していった。
いつだったろうか。ぼくが昔、崖の上で生きていたオレンジ色の花が、ぼくに自身を一枚くれたことがあった。


『そばにいてあげられないけど、いつもみまもっているから』


あの時は花の優しさを素直に受け止められず、お礼もそこそこしかしていなかったと思う。
だけどぼくはずっと、その花びらを大事に持ち歩いていた。

 

オレンジ色の花びらは、ぼくの側を離れると他の仲間たちと共に空高く飛んで行った。
もうきみは大丈夫。そんな声が聞こえてきた。
ぼくは彼女にありがとうと大声で言い、大きく手を振って花びらたちを見送った。



No.47 おもちゃジンベエザメ

 

川と海の間にある深い溝に、そのジンベイザメは住んでいた。
彼の鱗は丸や四角と言った幾何学模様や星の形をしており、まるで背中がおもちゃ箱をひっくりかえしたようだった。

 

川と海の間のせいか、それとも深い場所のせいなのか、そこには他の魚の姿は無く、ジンベイザメは悠々とひとりで泳いでいた。
彼の通り道には鱗が散らばっていく。
暗い水の底に、ジンベイザメのサンタクロースがプレゼントを振り撒いていた。

 

ぼくらが話しかけると、ジンベイザメは笑顔で向かい合ってくれた。

 

「ここにはぼく以外なにもないけど」
彼はそう言うと、自身の鱗を少しだけぼくらにくれた。

 

「ふたりで仲良く遊んでね」

 

ぼくはアヒルとふたりでそのおもちゃで遊んだ。
子供の頃はいつもひとりで、こうやって誰かとおもちゃで遊ぶのは始めてだった。
丸い鱗を投げたり、星を重ねたり、やっていることは単純だけど、とても楽しかった。
とても楽しかったんだ。

 

これは星ではなくサメの鱗なのに、ぼくにはどんな星よりも輝いて見えた。



No.48 カカシと老木

 

海から少し離れた青い森に、その場にそぐわぬひとりのカカシがいた。
カカシの後ろには大きな老木があった。
しかしよく見るとカカシは鳥に囲まれていて、老木はあちこち腐って変色していた。

 

「私は鳥に好かレちゃッテ、チっとも畑の番人を出来なかっタ。コノ木は家になル予定だっタけど、腐ってシマって家になれなかった。私も彼モ、ただの役立たずサ。
その役立タズ同士が不思議と出会イ、誰カの役に立チタいと願ってネ」

 

カカシは懐から一本のマッチを取り出した。

 

「このマッチハこの木かラ作られたものなンダ」

 

カカシはがそういうと、マッチがひとりでに燃え出し、炎からは白い煙が立ち上った。
その煙を見たぼくの表情は、一瞬で固まってしまった。
煙の中に、ぼくが知っているものたちの姿が見えたんだ。
街や人、いきものや家。もう顔すらぼんやりとしか思い出せない人や、二度と訪れることが出来ない街まで。
ぼくが煙に釘付けになっていると、カカシはカタコトの言葉で話を続けた。

 

「このマッチの炎ハ、きミの辛い思イ出を炎にシて燃やしてくれル」

 

炎を怖がらない鳥たちも、マッチが吐き出す煙を見つめていた。

 

「きミにも沢山あるダろう。思い出すのもシんどい思イ出、辛い思イ出。涙なくテは語れナイ悲しい出会いや別レ。いっそ忘れてシマえば楽になレるのニ!と願う過去の記憶たちガ」

 

「どうダい、このマッチに託してごラン。全て煙にシて天へ送ってくれル。きミを苦しみから解放シてくれル」

 

カカシは笑い、老木は優しくぼくを見つめてきた。
このマッチに頼れば、過去の辛いことも、もう会えない人への悲しみも、旅であった苦い経験も、全て忘れさせてくれる。
ぼくを楽にしてくれる。

 

だけどぼくは首を横に振った。

 

「いいノ?」

 

「いいんだ。辛さや悲しみを消してしまったら、ぼくの大事な部分を失ってしまう気がするから」

 

その部分を切り取ってしまったら、今のぼくがぼくでは無くなってしまうから。
ぼくはカカシでも老木でもなく、アヒルを見つめながらそう言った。
アヒルはいつものように、穏やかな顔をしていた。

 

「そウカい、そうかイ」

 

カカシはすっと火を消した。

 

「みんなソう言うんだヨネ。私たチのやってイること、何か間違ッテいるのかナ」

 

カカシと老木は悲しそうに見つめ合っていた。

 

「きみたちの優しさは間違っていないよ」

 


帽子を振って見送ってくれるカカシを背に、ぼくは全てを抱きしめてアヒルと共に先へと進んだ。



No.49 狭い世界

 

少し休もうかと、大きな一本の木に登った。
木が高ければ高いほど辺り一面が大きく見渡せるから、ぼくは木の上で休むことが大好きになっていた。
誰かが星のランプを飾ったらしく、植物と廃墟たちが、心なしか嬉しそうにしていた。

 

この世界にきて、どれくらいたっただろうか。
見たことも無い場所と、手にしたことも無い星を求めて、ずいぶんと長い間彷徨っていた気がする。

 

世界はとても広かった。
歩いても歩いても目的のものもなく、同じ風景はどこにもない。
同じ場所にいても、昨日と今日とではまるで景色が違う。
昨日いなかった小鳥、昨日生えていなかった草。


ここに来た頃、風景に心動かされるなんてことはなかった。
この世界は見たこともないものばかりなのに、それを楽しいとか、美しいだなんて思ったこともなかった。
今、その時と同じ世界を見ているはずなのに、どうしてかとても輝いて見える。
今なら、きっと何日もここに滞在しても、毎日感動できるだろう。


たったひとりの人間が、小さな目を通して見れるものは限りがある。
ぼくはまだ、この世界の一割も見た気がしない。
でもなぜか、見たいものはすべて見た気がする。
杖以外の持ち物は全て手放し、最初に欲しかったものも手に入れていないけど、とても満足しているんだ。
路線の無い旅に終着駅があるとすれば、きっともうすぐ降り立てるだろう。


今夜も大きな月が空に現れ、昨日とは違う顔で夜を照らしている。
ぼくの世界はとても狭い。
だけど、こんなにもきれいだった。



最後に見た夕日


No.50 

 

ここに来た時のことは今でも覚えている。
青い青い空の下で、ぼくはたったひとり地平線を眺めていた。
どうしてここに来てしまったか全くわからなかったけど、ただただ心の奥底から強烈に湧き上がる「星が見たい」と言う願いを叶えるため、ぼくは当ての無い旅に出た。


だけど、いくつもの山を越え、いくつもの海を渡り、ようやく見つけたその「星のカケラ」は、ぼくの心を満たしてくれなかった。

当然だった。ぼくが求めていたのは、星そのものではなかったのだから。





この世界の空に星は無い。
見えないんじゃなくて「無い」。
だからこの世界の誰もが星を求め、夜ごとに現れる大きな月を見上げては悲しみに暮れている。

星は「夢」。星は「希望」。星は「願い」。
そして、それらはこの世界に来てしまったぼくらには、決して手が届かないもの。


ぼくは自分が何を求めていたのかわかっていなかった。
ただただ、漠然と形ある「星」を探していた。
ぼくが欲しかったのは目に見えるものではなく、この手で触れることすら出来ないものだった。
たぶん、多くの人がそうであるように。


ぼくは寂しかったんだ。
生きているときも死ぬときも、ずっとずっとひとりだった。
誰かにぼくを分かってほしかった。受け入れてほしかった。



ぼくは幸運にも、自分が本当に求めているものに気が付けた。
それは実際に「星のカケラ」を手にしたおかげで分かった真実であり、アヒルが隣にいてくれたから分かった事実だった。

きみは何も語らない。
ぼくに助言も、苦言も、慰めも、何も言わない。
ただただいつもぼくの後ろを歩いてついてきてくれていた。
ただただぼくの側にいてくれた。
ぼくと同じものを見て喜び、楽しみ、ドーナツを半分くれた。


思い返せばアヒルだけじゃなく、世界はいつもぼくの側にいてくれた。
どんな場所でもぼくを拒絶せず、いつも受け入れてくれていた。
この世界は苦しんでいるものたちに、静かな場所と静かな優しさをくれる所だった。
何も言わず、何も押し付けず、ただただぼくらを見守ってくれる場所。


アヒルも世界も同じだった。
きみはきっと、この世界の一部なんだろう。


ぼくはアヒルを抱きしめた。
アヒルもその白い羽で抱きしめ返してくれた。
“きみはもう大丈夫”
そう言われた気がした。


地上から持ってきた苦しみや悔しさが全て解決したわけじゃない。
ここに来てから心を痛める出会いもあった。
でも、ぼくはもう満足だった。

何かをきちんと解決することだけが道ではない。
別の道へそれることで晴れるものもあるのだろう。


ぼくは街の出口に続く一本道を、ひとりで歩き出した。
少し進んで振り返り、アヒルとその背後にある大きな月に「さようなら」とほほ笑んだ。

だんだんと視界が白く狭まる中、世界がぼくにほほ笑み返してくれたのが見えた。


END