紳士とアヒル


No.7

クジラと別れたあと、ぼくはどうしても気分がすっきりしなかった。
たった一輪の花を見るために、海から長い長い旅をしてきたクジラ。
もうどこにも行くことが出来ないクジラ。


ぼくは彼に何と言ってあげたらよかったのだろう。「花を見れてよかったね」とでも言うべきだったのだろうか。
いや、ぼくのようなちっぽけな存在があのクジラにかける言葉なんて、きっとない。


そんなことはわかっているのに、心に吹く空っ風がどうしても止まなかった。

 

それに疑問もあった。あのクジラは「花が見たかったんだ」と言っていた。
だけどこの世界にいるものたちは、みんな星を探しているはずでは?
考えても解決しそうにない問題とわだかまりを抱えて、ぼくは草原の先へと進んだ。

 

 

 

やがて草が少なくなってくると、今度は岩だらけの場所に出た。
岩、と言うより小石の集まりだろうか。
地面は土と石畳、その上に雑草のごとく小石が散らばっており、とても歩きにくかった。
一応草も生えてはいるのだが、茶色くなっていて土と見分けが付きにくいほど枯れていた。
さっきの青々とした草原とは対照的すぎて、ぼくは少し笑ってしまった。

 

 

小石の山に囲まれて、石造りの家が何軒かあった。
丸い石を積み上げて粘土で固めたような家だった。
人の声は全く聞こえないが、煙突から煙が昇っているので誰かが住んでいるようだ。


ぼくは草原を休みなく歩き続けたせいで少し疲れていたので、どこか休めるような場所は無いかとこの石の村をうろうろした。

 

 

すると、赤い石でできた家から、どすんっと大きな音が聞こえた。
それも一度ならず二度、三度と、どすんどすんと何かが落下したような音が続いた。
さすがに何かあったのかと心配半分好奇心半分、ぼくは赤い石の家へ駆けこんだ。

 

家の中は荒れていた。タンスは横たわり、電球は割れ、本や雑貨があちこちに散乱している。
おまけにぼくの目の前をお皿やコップがひゅんひゅんと飛んで行っていた。アヒルは飛んで行く食器たちを面白そうに目で追っていた。
そして食器が飛んで行くたびに「ない!」「ない!」と規則正しく怒声が聞こえてきた。


ぼくは床と空中の雑貨たちに注意しながら、部屋の奥へと進んだ。

 

 

 

あらゆる物の中で見えたのは、小さな丸いタヌキだった。
タヌキは白いシャツに緑色のズボンをはいており、しっぽをふくらませながら短い手を振り回し、物を掴んでは投げていた。

 

「ない!ない。ないよぉ・・・」

 

タヌキの怒声が悲しみの声に変わっていった。
それに従い物を投げる動きもだんだんとにぶくなり始めた所で、ぼくはタヌキに声をかけてみた。


「何か探し物?」


タヌキはようやくこちらに気が付いたようで少々驚いていたが、ぼくとアヒルを交互に見つめると、ふぅっとため息をついた喋りだした。

「そうさ、探し物さ。ずっとずっと探しているんだ」
「一体何を?」
「星だよ。キミだってそうでしょ?そんな今更」


タヌキは当たり前のことと言わんばかりに、めんどくさそうに言ってきた。
「星はこんな家の中にあるものじゃないと思うけど」
ぼくはちょっとむっとして言い返した。するとタヌキは手近にあった本をひとつ手に取り、バサバサと振って何も挟まってないことがわかると、本を後ろへ投げ捨てた。

「キミってわかってないなぁ。星ってね、こういう所にあるんだって。本の間とかタンスの奥とか。見た所ボクの方が年下っぽいけど、こういう点ではボクの方がなんでも知ってるみたいだね」


ぼくは顔がひきつってきた。

 

「星ってそんなペラペラなものじゃない気がするけどね。本の間にあるっていう根拠は?」
「ない。でもボクにはわかるから。絶対あるから」


タヌキはそう言うと、今度は本棚をひっくり返す作業を始めた。

どうもタヌキの理屈には納得できなかったが、万が一と言うこともあるので、ぼくはタヌキと並んで本をひとつひとつめくり始めた。
アヒルはさっぱり興味がないらしく、本のひとつを楽しそうに読んでいた。

 

 


しばらくたって、家中の物をおおかたひっくり返した頃。
引き出しと言う引き出しは全て空にし、本はほぼ全てのページをめくった。
それでも星がありそうな気配なんてなく、ぼくは最後の本をめくり終わると床に座り込んだ。

やっぱりどう考えても星がこんな家のなかにあるわけない。
もしあったとしたら、とても小さくてとても薄っぺらいものになってしまう。

それはぼくの求めている『星』では無い気がする。
星ってもっと大きくて、目からあふれるほど輝いていて、両手ぐらいじゃ包み込めないようなものじゃないだろうか。

 

タヌキの方に目をやると、タヌキも疲れたのか、床に座り込んで何かをじっと見つめていた。
それは本のしおりだった。青色で椿の花の絵が描かれている上品なものだった。


「そのしおりに星でもついていたかい?」
ぼくは皮肉たっぷりに言った。


「違う、違うよ。ちょっと昔の記憶を思い出しただけ」

タヌキはしおりから目を離さず続けた。

 

 

 

「ボクがとっても小さかった頃、本を読むのが大好きだったんだ。本を読んでいる時間が世界で一番素敵な時間だと思っていた。だから、世界で一番素敵な時間には、世界で一番素敵な道具が必要だと考えたんだ。ほら、おいしいお茶のために良いティーセットを使ったりするでしょ?ボクにとってのティーセットは、本に挟むしおりだった。


ボクは世界一素敵なしおりってどんなものだろうと考えた。そこで思い浮かんだのが、うちの近所にあったイチョウの並木道だった。秋になると黄金色に色付いて、その並木道を歩くとまるで金の海を泳いでいるような感覚になるんだ。だからそのイチョウの葉をしおりに使うことにした。」

 

「季節はちょうど秋だった。早くしないと冬が来てしまって、全ての黄金が散ってしまう。ボクは朝から晩まで並木道をうろつき、一番素敵なイチョウの葉を探した。色が均一で、とてもおおきく、どこも欠けていない輝く葉っぱを。何日も何日も地面をはいつくばったり木に登ったりして探したさ。
そしてついに、最高の一枚を見つけたんだ。

 

ボクはその葉っぱを走って持って帰り、さっそくしおりを作ったさ。慎重に透明のフィルムに挟んで、こげ茶色のリボンをしっかりとかけて、世界一のしおりが出来たんだ!
ほんとに、ほんとにキレイだったんだよ。昼は太陽の光で輝き、夜は電球の光で浮かび上がる、唯一無二のしおりだった。本を読むのが数百倍楽しくなったんだ!」

 

タヌキはさらにうつむいた。

 

「でもね、ある日のことだった。その日ボクは茶の間でリンゴジュースを飲みながら本を読んでいた。でもちょっと読み疲れたから、本と一緒にしおりをテーブルに置いて、そのまま外へ遊びに行ったんだ。

夕方になって帰ってきたら、本はあるのにしおりがなかったんだ。

ボクは慌てて部屋中を探したけど、どこにもなかった。


だから庭で焚き火をしていたお母さんに聞いてみたんだ。『ここに置いてあったしおり知らない?』って。お母さんは最初何のことかわからなかったみたいで、首をかしげていた。

 

ボクが『イチョウの葉っぱの、茶色いリボンがついているやつ』って説明したら『ああ』と言って、そしたら、そしたらね『あれなら汚かったから一緒に焼いたよ』って」

 

 


タヌキのしおりを持つ手が、少し震えていた。

「違うのに、違うのに!確かに毎日使っていたから、ボロボロになっていたさ。お母さんにはゴミのように見えたかも知れないさ。でも、どんなに擦り切れてきても、汚れていても、リボンから糸が飛び出していても、アレはボクの宝物で、代わりなんてこの世にあるわけないのに!!」

タヌキははぁはぁと息を切らし、呼吸を落ち着かせると、今度は絞り出すようなか細い声でつぶやきだした。

 

「わかってる、わかってるよ。大切な宝物をあんなところに置いたボクが悪いんだ。ちゃんと守ってあげられなかったボクが悪いんだ・・・。
ボクはその日から一切本を読めなくなった。物語も図鑑も、まんがも教科書だってただの一度も開けなかった。
本を手に取るとあのしおりを思い出して、辛くて悲しくて、それにあのしおり以外で本を読むことに罪悪感もあって、ボクは本を避けるようになった。
お母さんは怒り、お父さんはあきれていた。たかがしおりひとつで当てつけすぎるって。何度も何度も叱られたさ。
でもボクの心にはそんなのちっとも響かなかった。どうでもよかったんだ。何を見ても聞いても、何も思わなくなったし、あらゆることを避けて部屋に閉じこもっていた。
そんな日々が過ぎていって、いつのまにかボクはここに来ていた」

 

タヌキはぼくの方を向いた。涙は止まっていたが、目はまだうるんでいた。

「ここに来て、何もしない日々から星を探す日々に変わったけど、時々むなしくなるんだ。星なんて見つけてどうするんだろうって。そんなもの一生懸命探して何になるんだろうって。キミは考えたことない?」

 

ぼくは言われて戸惑った。星が見たい気持ちばかりが強く、どうして見たいのか、見てどうするのかなんて考えたこともなかった。

 

「星なんか見つけても、あのしおりが帰ってくるわけでもないのに・・・」

 

タヌキはまた泣き出した。タヌキの周りには、涙の海が出来ていた。
ぼくは思い当たることがあり、何の根拠もないがタヌキに話した。

 

「もしかしたら、そのしおりもここに来ているかもよ」

 

タヌキはぱっと顔を上げた。信じられないというような表情をしていた。

 

 

 

「え、しおりだよ?キミ何言ってるの?」
「ここに来た時、ある雑貨屋に入ったんだ。そこには使い古されていたり、錆びているものも多かった。しかもどれもこれも、ぼくが昔見たことあるようなものばかりだった。
それで思ったんだ。あれは地上で捨てられたりしたものたちじゃないのかって」

タヌキは耳をピンと立てて、こちらを凝視している。いつの間にかアヒルもぼくの隣にいて、一緒に話を聞いていた。

 

「きみがそれだけ大切にしていたものなら、燃やされてしまったことを悲しく思い、死ねなくてここに来ている可能性は十分にあると思うんだ」


「じゃあ、じゃあ」
タヌキはぼくに詰め寄ってきた。

 

「あのしおりもここに来ていて、もしかしたら、もしかしたらボクを待っていてくれているかも知れないってこと?」


ぼくはちょっと自信なさげに「可能性としてはね」と付け加えてうなずいた。タヌキの顔がぱぁっと明るくなり、また涙を流し始めた。

 

「だったら、だったらボクはあのしおりは早く見つけてあげなくちゃ。そしてまた一緒に本を読んで、読みたい本がいっぱいあって、それで、それで」

先ほどとは違う興奮でタヌキは声を張り上げて、聞き取れないほどの早口で色々とまくしたてていた。

 

「うれしいありがとう!ボクこんなにわくわくしたの久々だよ!よし、まずはあのしおりを探さなきゃ。しおりなんだから、きっと本の間とかタンスの奥とかにいそうなんだよね。きっと自分から動けるような子じゃないから、早く見つけてあげなきゃ」

 

タヌキはそう言うと、またタンスをひっくり返したり本をバサバサ振る作業へと戻った。
もうぼくのことなんかすっかり忘れている様子だったが、ぼくは嫌な気分ではなかった。
ぼくはアヒルと一緒に、そっと部屋の外へ出た。

 

 


ぼくに宝物なんてあっただろうか。
タヌキがいた家から離れ、ぼくは考えた。

あのタヌキが少しうらやましかった。
四人兄弟の三番目のぼくは、おもちゃも本もいつもおさがりで、『ぼくのもの』と言うのが無かった気がする(可愛がられていた末っ子は、新しいものを沢山買ってもらっていた)。

いつも最新のおもちゃや本を買ってもらっている、兄や弟がうらやましかった。
両親もやっぱり兄や弟たちばかり目を配らせ、ぼくとまともに『会話』したことなんて、数えるほどだった。

 

いつもひとりで庭で遊んでいた。
花や虫がぼくの遊び相手で話し相手だった。

 

そんな花や虫とも話さなくなってしまったのは、いつからだっただろう。
ここに来て最初は花が喋ったことに驚いたけど、昔はよくお喋りしていた。
どうして忘れていたんだろう。

 

いつからぼくは、本当にひとりぼっちになってしまったのだろう。