紳士とアヒル


No.5

また満月がやってきた。
ぼくは廃墟とガレキが積まれた山に登り、そこに座ってまん丸い月を眺めていた。

 

あいかわらず空の大半を占める月。夜なのに世界を明るく照らす月。
だがその光は、昼間と違って青白い。世界全体がどこか冷たく、さみしく感じる。
あの部屋にいた人はこのさみしさを全身で受け止めながら、毎晩望遠鏡で夜空を眺めていたのだろうか。
心に浮かび上がる疑念を振り払いながら、薄い希望にかけて空を眺めることは、どれほどしんどいだろう。

 

色々なことがぼくの頭の中を駆け巡った。
あの人はどこに行ってしまったのだろう。
そしてぼくはこれからどうしたらいいのだろう。
星が見られないとわかっていても、いや、わかってしまったからこそ、胸を焦がす焦燥感をいっそう激しく燃え上がり、ぼくを絶望させて来る。
ぼくはずっとこのまま、このあいまいな世界で胸を痛めながらすごさなければいけないのだろうか。

星が見たい。ひとかけらでもいい。


だけど、どんなに強く願っても、空には月しかいなかった。


もうこの世界を歩き回る理由もなくなった。
いっそこのガレキの山に埋もれて、腐っていくのを待つことにしようか。
もし腐れなかったとしても、このまま動かず汚れて行けば、ガレキの一部になれるだろうか。


そんなことばかり考えていた時。
隣に何かがやってきた。

 

それは真っ白い鳥だった。
見た目からしてたぶんアヒルだろう。白い羽で、黄色いくちばし。
アヒルはぼくの横に座ると、じっとぼくを見つめてきた。

 

 

「何か用?」
ぼくが聞いてもアヒルは答えなかった。
それでもぼくから目をそらそうとしない。

 

「きみもこの世界に来てしまったの?」

アヒルはやっぱり答えない。

こんなアヒルでもこの世界に来ているということは、きっと何かがあって幸せに死ねなかったのだろう。
それを考えると悲しくなった。

 

「ぼくに何か用?」

アヒルはそれでも答えない。
ぼくはだんだんとイライラしてきてしまい、ガレキの山から飛び降りてその場を離れることにした。

 


だが、後ろから足音が聞こえてくる。
振り向くと、アヒルがひょこひょことぼくのあとをついてきていた。
ぼくが止まるとアヒルも止まり、ぼくが進むとアヒルも進む。
いい加減うっとうしくなり、全速力のかけ足をして突き放そうとしても、同じくらいのスピードでアヒルも走ってついてきた。

 

ぼくは立ち止まり、アヒルに言った。

 

「ねぇ、なんでついてくるんだよ。用があるならちゃんと言ってくれよ」

 

トゲのある大声で叫んでも、アヒルは何も答えない。
それどころかぼくとの距離をつめ、やっぱりぼくの顔を見つめてきた。
ぼくは諦め、アヒルを無視して再び歩き出した。
後ろから変わらず足音が聞こえる。
月とガレキしかないこの場所では、足音がよく響いた。

 

 

 

ぼくは足場の悪いところをわざと歩いてみたりもしたが、アヒルは羽を一生懸命使って頑張ってぼくについてきた。
足をすべらせ転がっても、泣くこともせず黙って起き上がり、ぼくの後を歩いてきた。
ぼくはおおきなため息をつくと、立ち止まってアヒルの方へと振り向いた。

 

「わかったよ、わかったから」
アヒルは変わらず黙ってぼくを見つめている。

 

「おいで、一緒にいこう」


途端、アヒルが少し口を開き、笑ったように見えた。
アヒルは飛び跳ねるようにぼくに近づいてきた。
なんだかとても嬉しそうに見え、ぼくも思わず少しだけ笑ってしまった。

 

「それじゃ、どっちへ行こうか」


アヒルはどうしても喋りたくないらしく、何も言わない。
だけどぼくは、さっきまで崖っぷちにあった心が、ちょっとだけ軽くなった気がした。


もう少しだけこの世界を歩いてもいいのかもしれない。
星を見つけられる確率なんて、ほとんどゼロだけど。
それでも旅をしてみてもいいのかもしれない。
せかっく連れも出来たことだし。

 

 こうしてぼくの旅路は始まった。
あてもなく、希望もない旅だけど、始まりの足取りはとても軽やかだったんだ。