紳士とアヒル


No.12

あの後、ぼくは赤い手袋を持ち、影のオバケを探し回った。
だが、もともと影そのものだったあのオバケを見つけるのは、いくら月明りがあれど厳しい物があった。


空が白んできたあたりでぼくは諦め、赤い手袋を元の場所へ戻し、先へと進んだ。

 


少し歩くと、ピンク色のコスモスが一面に咲いている場所にたどり着いた。
風が気持ちよく、空にはめずらしく雲が泳いでいる。
コスモスの花の上にはツユムシが止まっていて、花と一緒に風に揺られていた。

 

 
ぼくは昨晩のことで少々疲れていたので、ここで昼寝でもしていこうかと思い、大の字に寝転んだ。

 

「「いてっ」」

 

ぼくが放り投げた腕が、何か固い物に当たってしまい、ぼくは声を上げた。
同時に、ぼくじゃない声も聞こえてきた。


ぼくが起き上がると、それも起き上がった。

それは少し黄ばんだ白いタマゴだった。
タマゴなのだが、なんだかおしゃれなヒゲとおしゃれな蝶ネクタイをしており、ぼくと同じようなシルクハットをかぶっていた。


タマゴはいててと言いながら、頭をさすっていた。

 

 

「すまない、ケガは無かった?」


ぼくが聞くと、タマゴは弱々しく笑ってきた。

「いや、大丈夫、たいしたことないさ。ヒビだって入ってない。それよりきみの腕も痛かっただろう。申し訳ない、大丈夫かい?」


ぼくはほっとし、たいしたことないよと返事をした。

タマゴの後ろの方で、アヒルがバッタを追いかけて走り回っていた。

 


「きみ、何やらお疲れ気味のようだね。顔色が悪い」


再び寝転んだぼくらは、空を見上げながら話した。

 

「・・・影のオバケを探していたんだ」
ぼくはほんのちょっとためらい話した。

「影?」

「真っ黒で金色の目をした影のオバケに、おつかいを頼まれたんだ。用事が済んで戻ってみると、そのオバケはもういなくて、手袋だけが落ちていたんだ」

 

「そうか、うん、影か」

タマゴはぼそっとつぶやいた。

 

「それはさぞかし心配だろう。心中お察しするよ」

 


雲がゆっくり、ゆっくりと流れている。
まるで時間なんて存在しないかのように。

 

「ところで、きみもここで昼寝でもしてたのかい?」

ぼくは暗くなるのがイヤで、話題をそらした。

 

「いや、僕は仕事をしていたんだ」

「仕事?」

「雲を眺める仕事さ」

 

ぼくはタマゴが何を言っているか、あまり理解できなかった。

 

「きみは“自由”ってなんだと思う?」

タマゴはぼくに尋ねてきた。

ぼくは考えたこともないことを質問され、どう答えていいかわからず、素直に「わからない」と返した。

 

「僕はね、自由を求めているんだ。心の自由、身体の自由・・・。
何にも縛られていない、世界一解放された幸せな状態を」

 

 

「きみは今、自由じゃないの?」

ぼくには彼が何かに縛られているようには見えなかった。

 

「いや、うん、傍から見れば僕は何にも縛られていない、自由そのものだと思う。
形も綺麗な丸だし、寝ぐせを気にする髪の毛も無い。
着の身着のまま、家もなく家族もなく、両手両足は健康そのもの。
僕ほど贅沢な存在も、稀だろうね」

 

タマゴは続けた。

「だけど、どうしてだろう。僕の心は一向に満足する気配が無く、むしろ日に日に“自由”への憧れが強くなっているんだ。
今度は空を飛べないこの両足に不自由を感じ、ヘアスタイルを変えられないスキンヘッドに不自由を感じ、ひとりであることに不自由を感じている。


何をしてもしなくても、全く解放されないんだ」

 

風がぴたっと止み、辺りから音が消えた。

 

「僕は“自由になること”に縛られているようだ」

 

 

 


タマゴは両手を空へと掲げた。
「どうしようもなくなって、ぼーっと空を眺めていた時だっただろうか。
空を優雅に泳ぐ雲が、とても自由だと思えた。気ままに世界を旅し、形を好きなように変え、時にはみんな集まり、時にはひとりひとりになり。
だから僕は雲を眺めていれば、自由とは何かが分かる気がしたんだ。
僕も自由で幸せな存在になれると思ったんだ。
それで、毎日雲を眺める仕事に就いたんだ」
「それで、何かわかったの?」
「ああ、わかったさ。雲は全くもって自由ではなかった」
タマゴは手を下ろした。
「彼らは風に吹かれることでしかどこにも行けず、姿形も風の気分で決まってしまい、生きるも消えるも全て天にまかせるしかない。
雲は僕が考えていたのと、真逆の存在だった」
タマゴの声色は、なんだか乾いているように感じた。
「でも、どうしてだろう。
困ったことに、僕にはそんな雲が全く不幸に見えないんだ。
本当に、本当に困ったよ・・・」

ぼくは何も言わなかった。

空の高い所で、二羽のトビが旋回を始めた。
ぼくらはしばらく、トビたちを黙って眺めていた。
黒い世界

 

「僕は今日限りでこの仕事を辞めるよ」


太陽が西へと傾きかけた頃、タマゴは立ち上がりそう宣言した。

 

「これからどうするんだ?」

ぼくが聞くと、タマゴはうーんとうなって考え出した。

 

「そうだな、浜辺を探して海を眺める仕事にでも就くかな。
雲がダメなら、次は海だ。海ほど大きく自由な存在は無いだろう」

「海を眺めたいのなら、浜辺よりも海辺の崖とか高台が良いと思うけど」

「いや、ダメ、それはダメだ」

タマゴは片手を激しく振った。

 

「僕は高い所が大嫌いなんだ。落っこちたら割れてしまうからね。椅子も塀もダメなんだ。すまないね」

タマゴは帽子を被りなおし、太陽の方へと歩き始めた。

 

「そうだ。きみが言っていた影の人だが」

彼はまだ座っているぼくの方へ振り返り、思い出したかのように言って来た。

 

「彼か彼女かわからないけど、その人もきっと、僕のように“自由”になりたかったんだと思うよ。
結果がどうであれ、きみはその人の手助けをしたんじゃないかな。
それじゃあ、またどこかで」

 

二度手を振ったタマゴは、短い足で背の高いコスモスの間を進み、やがて消えて行った。

 

いつの間にか、バッタを頭に乗せたアヒルがぼくの隣に立っていて、
一緒にぽかんと、タマゴを見送った。

 

 


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