紳士とアヒル


No.11


「もしもし」

 

次の場所へ続いている道を歩いていると、突然どこからか声をかけられた。
ぼくは立ち止まって辺りを見回したが、誰もいない。
道の脇に植えられた細い木が一本だけ。人の姿はどこにもなかった。
木の下には太陽の光を受けて細く伸びた影と、赤い手袋がふたつ落ちていた。

 

「もしもし!」

突然、木の下にあった赤い手袋が、勢いよく手招きをしてきた。
ぼくはぎょっとしたが、おそるおそるその手袋へ近づいてみた。


目を凝らして手袋を見てみると、ぼくが誰に呼び止められたのかが分かった。
それは木の影に同化していたが、真っ黒で金色のふたつの目らしきものがきらりと光る『何か』だった。

 

 


影のオバケか何かだろうか。
この世界に来て色々なひとに出会ってきたが、オバケの類は始めてだった。

 

「ぼくを呼んだ?」

金色の目がまばたきをした。

 

「はい、はい、すいません呼びました」

対話は出来るようだ。

 

「ぼくに何か用でも?」

ぼくが訪ねると、金色の目がさらに大きく(見開いた?)丸くなった。

 

「すいません、すいません、ひとつ頼みたいことがあるんです。本当にごめんなさい。時間が無いんです、お願いします」

黒いオバケは赤い手袋を動かし、木の横に咲いていた白い花を摘んだ。

 

「これ、この花を、ここから先になる谷へ投げ入れてほしいんです。お願いします」

白い花をぼくに押し付けてきて、ぼくは思わず後ろへ身を引いた。

 

 

 

 

「お願いします断らないで、時間がないんです!」

「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて」

「大きな谷があります。峡谷です。そこにこれをそっと投げ入れてください。それだけでいいんです」

 

あまりの気迫にぼくは負けそうになったが、花を受け取ることをためらっていた。

「どうしたんですか、そんなにお手を煩わせないと思いますよ。ずっと持ってろとか、誰かに届けろとか、そういうんじゃないんですよ。ほら、お願いします」

 

「わかった、わかったから少し待って!色々聞かせてくれよ」

ぼくが拒絶を見せると、ようやくオバケは押し付けてきた白い花を少し引いてくれた。

 

「まず、谷に投げ入れるって言ってたね。どうしてわざわざ花を投げ入れるんだ?それになんできみ自身で行こうとしないんだ?」

 

金色の目が閉じられ、ふーっと深いため息が聞こえた

「・・・この先ににある峡谷は『花降る峡谷』と呼ばれています。別名『想いの墓場』です。
誰が始めたかわからないけど、そこに訪れる人たちは、もう二度と会えない人のことを想いながら花を投げ入れるそうです。」

「もう会えない人?」

「そうです。色々あると思います。死に別れの他にも、生きてる間に離れ離れになってしまったり、すれ違いや行き違いで会うことが出来ないまま終わってしまったり・・・。そういった人へ感謝や懺悔や、たくさんの想いを込めて花を手向けるんです。
どうしようもならない想いの、吐き捨て場みたいなものです」

 

オバケは続けた。

「どうして自分でいかないのか、ですが、ご覧の通り私はこの木の影に同化してしまって、ここから動くことが出来ないんです。
峡谷はここからそう遠くはないのですが、私には何万里も離れた場所みたいなものなのです。
本当は私が自分で行きたかった。何度も何度も試してみたけど、ダメだった。
だからどうか、どうかお願いします。私はもう、ここから動くことが出来ないから!」

 

金色の目から、金色の涙がこぼれた。
ぼくはそっと白い花と受け取った。

 

すると金色の目がいっそう輝き、「ありがとう」とオバケがつぶやいた。

その声を聞くと、この花を誰に手向けるのか、聞くことは出来なかった。
それは、心底安心したような声だった。

 

「そうだ、ちょっと待ってください」

先ほどとはうって変わってゆっくりとしゃべりだしたオバケは、白い花と反対方向に咲いていた小さな青い花を摘んで、ぼくへと渡してきた。

 

 

「よかったら、あなたの分です」

ぼくは青い花も受け取った。

 

「本当にありがとう・・・。もうこれで、これで・・・。とにかくよかった。ありがとう。どうかよろしくお願いします」

 

ぼくたちは赤い手袋を振ってくるオバケに見送られ、その谷を目指した。

 

 


いくつも歩かないうちに、大きな地面の切れ目を見つけた。
思ったより深い谷のようで、底が暗くてよく見えない。
辺りに花を投げ入れている人もいなく、これがオバケの言った花が降る谷なのかわからなかった。
だが、谷に沿って歩いていると、下へ降りれそうな場所を見つけたので、ぼくは降りて確認してみることにした。

 

 

降りてすぐ、ここがオバケが言っていた場所だと確信した。
谷底には様々な種類の花がびっしりとひきつめられていた。
時折風が吹き、花が宙へと舞った。
上から降り注ぐ太陽の光が花たちを煌かせ、心なしか、谷を作っている岩も花のように鮮やかに見えた。
ぼくはこの花の数に驚いた。
こんなにも沢山、もう会えない人のことを心に抱えている人たちがいるなんて。
ぼくには、それほど深く想う人がいない。残して来た人もいないし、別れを惜しんでくれた人もいない。
それが普通だったから、この状況が受け入れ難かった。

この世界に来た人たちは、おそらくほとんどがぼくのように一人で来たのだろう。
だから、別れてしまった家族や友人がいるのは、考えてみれば当たり前のことなのに。

 

 

あの木の影のオバケも、井戸にいたカエルも、他人への深い想いを消化しきれず抱えていて、それをどうにかしたくて、花や手紙を飛ばしたのだろう。


ぼくは彼らがうらやましく思えた。
花を投げ入れるほど想う相手がいる人も、想われた相手も。

 

上からひとつの赤い花が降ってきた。
花はゆっくりと羽のように舞い、墓場の一部となっていった。

またひとつ、ひとの想いが積み重ねられた。

ぼくは思わず、ポケットにある赤い花びらを握りしめた。

 


上に戻ると、ぼくはオバケに託された白い花を谷へと投げ入れた。
あのオバケは誰にどんな気持ちを込めて、この花を摘んだのだろう。

ぼくはオバケに渡された、青い小さな花を見つめた。
ぼくがこの花を谷に入れることは出来ない。
想いのこもっていない花を投げてしまうと、彼らへの侮辱となるだろうから。
かと言って、この花をそこら辺に捨てていくのもイヤだった。

 

ぼくが悩んでいると、アヒルがぼくの袖を引っ張ってきた。
そしてぼくの手から青い花を取っていくと、それを地面へと置いてきた。

 

その直後、青い花に黒い七星テントウムシが飛んできた。
彼は青い花に止まると、羽を休めているようだった。

 

黒い世界


『あの子に花をあげようよ』

ぼくはアヒルにそう言われた気がした。
ぼくは花をそのままにして、その場を離れた。

 

 

 


オバケに事の顛末を報告しようと、白くて細い木まで戻ってきた。
時刻はすでに夕方で、細い影がより細く長く伸びていた。

 

 

だが、木の下にあの金色の目を見ることはなく、
赤い手袋だけが、そこに落ちていた。